2026年9月、米10年国債の利回りは5%台に張り付いたままだ。資産の六割を株式、四割を債券に置く「60/40」は、その単純さゆえに半世紀近く標準解答の座にあったが、今は前提ごと点検される側に回っている。金利がゼロから実質的な水準へ跳び上がって以来、債券は株式の保険ではなく、利回りのあるもう一つのリスク資産として扱われる。問いはこうだ。利回り5%の債券は、どこまで保険として信じられるのか。
失われた保険
60/40の心臓部は、株安の局面で債券が上がるという負の相関への信頼だった。その相関はしかし、インフレが眠っている間だけ成立する。物価ショックが来れば中央銀行は利上げを余儀なくされ、株も債券も同じ穴に落ちる。2022年の同時安が暴いたのは、相関とは自然法則ではなく、金融政策の体制が書き換える変数だという事実だった。
金利がゼロへ戻らない限り、この教訓は生きている。いま債券には、ゼロ金利の時代にはなかった利回りがある。保険としての債券は完全には死んでいないが、無料でもない。保有に理由の要る時代が続いている。
富裕層の答えは四分割
ナイト・フランクやUBSの富裕層調査が繰り返し示してきたのは、資産の厚い家計ほど公開市場だけに身を任せていないという構図だ。実際の配分は静かに四つに分かれている。公開株式、プライベートエクイティとプライベートクレジット、現金と短い債券、そして不動産や金をはじめとする実物資産だ。金が1オンス4,350ドル前後の史上最高値圏に買われているのは、最後の柱への評価の表れだ。
現金が再び「資産」として数えられるようになったのが、この時代の地味な変化である。利子の付く待機資金は、恐怖の避難所であると同時に、次の買い場への弾薬でもある。動かないことの利回りを、富裕層は十数年ぶりに再発見し、もう手放す気はない。
プライベート資産の見えない値段
プライベート資産の人気には、正直に言って帳簿の安心感という側面がある。上場株が大きく下げた局面でも、未上場株の評価は下がらなかった。下がらなかったのではなく、値付けが遅れただけだ、と疑う目は常に正しい。
分配と資本呼び出しのタイミング、償還の条件、四半期ごとの評価の癖。プライベート資産を買うとは、流動性を売って穏やかな損益計算書を買う行為だと心得たい。悪い取引だとは言わない。見えていない価格を無料だと思うな、というだけだ。
次に壊れるもの
次に60/40を、あるいはそれに代わる何かを壊す候補は三つある。原油が1バレル100ドル前後で推移する中、インフレの第二波が株と債券の相関を再びプラスにひっくり返すこと。主要国の財政赤字が、5%台の長期債にさえ買い手を選り好みさせること。そして7,600台に乗せたS&P500に象徴される、米国大型株への集中リスクだ。
資産配分の議論は、比率の正解探しから前提の保守点検へ変わった。相関がいつ裏切るかを監視する仕組みを持つ家計と、昔の答えを暗唱する家計の差は、次の同時安の年にはっきり表れる。