売却代金が振り込まれた朝、創業者は初めて「経営者でない自分」に会う。会社という意思決定の機械を手放し、残ったのは預金と、週に一度電話をかけてくる証券会社と、返事のできない提案資料の山だ。アジアで単一家族のファミリーオフィスが増えている背景には、この朝の戸惑いがある。

趣味の部屋から機関へ

初期のファミリーオフィスは、創業者の書斎の延長である。顧問税理士と、昔からの証券マンと、勘のいい本人。資産が小さいうちはそれで回る。問題は、売却で流動性が一気に増えた家族が、そのままの道具で判断を続けようとすることだ。

プロ化の第一歩は人だ。投資責任者、いわゆるCIOを雇い、投資方針書を紙に書き、四半期ごとの報告を定例化する。人件費は馬鹿にならない。規模の足りない家族は、複数家族で運営費を分け合うマルチファミリーオフィスや、運用責任を外部に借りる形を選ぶ。どちらが正解かではなく、自分の資産規模に見合う組織を選べるかが最初の試験である。

投資委員会という制動装置

投資委員会の本当の仕事は、いい案件を見つけることではない。決裁を遅らせることだ。外部の委員を交え、議事録を残し、本人が反対されても覆せる票数を設計する。家族の資産を毀損するのは、市場より先に、本人の即断である。

失敗例は似ている。委員会はある。議事録もある。だが全てが、後から家長の決定を追認するために存在している。飾りの委員会は、ないより始末が悪い。手続きを無視できる者が一人いるだけで、組織は書斎に逆戻りする。

一枚のガバナンス

立派な規程集は要らない。一枚の紙で足りる。誰が何を決めるか。毎年いくら使うか。親族の事業にいくらまで貸すか。次の世代はいつから議席を持つか。書いていない家族は、同じ議論を毎年やり直す。書いた家族は、紙のせいにできる。

定例の報告は、運用成績を比較基準と並べて見せることが肝要だ。数字に逃げ場がなければ、言い訳の質も上がる。報告の形式は、家族に対する説明責任の外形である。

日本の承継という文脈

日本では、事業承継の難しさがこの流れを後押ししている。後継者のいない経営者は、会社を畳むか、売るかを選ぶ。売れば、資産は株式から現金に姿を変え、現金は運用という新しい仕事を連れてくる。経営者だった人が、引退後に「資産の経営者」になる。道具は同じに見えて、勝ち方が違う。

プロ化とは、立派なオフィスと高い給料のことではない。決定権の設計だ。次の世代が異議を唱えられる仕組みを作れた家族の資産は長持ちし、創業者の勘に依存し続けた家族の資産は、勘と一緒に老いる。