9月28日月曜、香港。サザビーズが自社初となるアジアでの単独作家イブニングオークション「ザ・フジタ・レキシコン:ルイス・コレクションより」を開いた。英国のコレクター、ジョー・ルイス氏が30年以上かけて集めた藤田嗣治(レオナール・ツグハル・フジタ、1886〜1968年)の油彩・紙本15点、全点が落札された。いわゆるホワイトグローブ・セールである。

ハンマープライス(手数料抜き)の合計は4895万香港ドル。サザビーズが事前に示していた予想落札価格の上限合計2430万香港ドルの2倍を超えた——本誌がサザビーズの自社セールページ(10月2日時点で確認)から15点ぶんのエスティメートを直接読み出し、合計した数字と一致する。手数料込みの合計は6722万4000香港ドル(約13億4700万円)。同じ晩に開かれたモダン&コンテンポラリー・イブニングセールと合わせた2オークション合計は約148億円に達した(美術手帖、9月29日)。

15点のうち、上限を超えたのは何点か

サザビーズの自社ページは今も、15点それぞれの予想落札価格(エスティメート)しか公開していない。本誌が10月2日にページの中身を直接確認したところ、個々の落札結果を表示する項目そのものが「非公開」に設定されており、金額を一切返さない作りになっていた。どの作品がいくらで落札されたかは、ハウス自身の発表ではなく、取材に基づく報道でしか分からない。

本誌がサザビーズの自社ページから作った15点中6点のエスティメート表はこうなる。結果の列は美術手帖の取材(9月29日)による。

ロット作品(制作年)予想落札価格落札結果(手数料込み)
1Mon portrait(1924)80万〜120万香港ドル281万6000香港ドル
2Chatte et chaton(1932)200万〜300万香港ドル576万香港ドル
3Le rêve (Hommage à La Fontaine)(1949)400万〜600万香港ドル2652万香港ドル
4Madeleine endormie(1933)30万〜50万香港ドル435万2000香港ドル
7Nu assoupi sur la table(1927)200万〜300万香港ドル832万香港ドル
8Le Mexique(1933)100万〜150万香港ドル435万2000香港ドル
15点合計—1650万〜2430万香港ドル6722万4000香港ドル

この6点だけで手数料込み5212万香港ドル、落札総額の77%を占める計算になる。残り9点の個別結果は、本誌が確認できた範囲では報じられていない。

落札結果を追跡するオークションデータベース、HENIは9月28日付で、15点のうち14点(93%)が予想落札価格の上限を超え、下限を割った作品はゼロだったと記録している。いっぽうARTnewsは9月30日付の記事で「15点のうち80%が上限を超えた」と書いた。母数が違う。HENIは手数料込みの落札価格を手数料抜きの上限と比べているが、ARTnewsがどちらの価格を基準にしたかは記事からは分からない。どちらが正しいかを本誌は判定できない。確実なのは、上限を大きく超える落札が相次いだという方向性そのものである。

最高額2652万香港ドル、競り合いは7分間

競りが最も白熱したのはロット3、「Le rêve (Hommage à La Fontaine)」(1949年)。藤田が1949年から50年にかけて約10か月間滞在したアメリカで手がけた、ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの『寓話』に捧げられた希少なシリーズの一点である。400万〜600万香港ドルの予想落札価格から始まった競りは7分間続き、最終的にサザビーズ・ジャパンのデピュティ・ディレクター、山脇英恵氏が電話でつないだ顧客が競り落とした。ハンマープライスは2100万香港ドルで予想落札価格の下限の5倍を超え、手数料込みでは2652万香港ドル(約5億3110万円)——この日の最高額になった(美術手帖、9月29日)。

競り落としたのは、軽井沢の美術館だった

サザビーズは美術手帖の取材に対し、最高額の「Le rêve」と、もう一点の高額作「Nu assoupi sur la table」(1927年、手数料込み832万香港ドル)の買い手を明かした。どちらを落札したのも、藤田嗣治の作品だけを専門に収蔵・展示する長野県の軽井沢安東美術館だという。

香港のセールルームで競り合った末に、この日の二枚看板を持ち帰ったのは中国本土でも欧米でもなく、日本の、しかも藤田一人に懸けた小さな専門美術館だった。アジア随一の競売拠点に出た藤田が、結局は藤田を最もよく知る場所に戻った恰好になる。これが、本誌が9月24日に報じた香港の秋オークション2026を俯瞰した事前記事が「結果待ち」としていた問いへの、ひとまずの答えである。

「Nu assoupi sur la table」には、転売の物差しもある。HENIの記録によれば、この作品が最後にオークションに出たのは2014年5月8日、サザビーズ・ニューヨークで34万1000米ドルだった。今回の106万米ドル(832万香港ドル)は、12年4か月で211%の上昇、年率に均すとおよそ9%にあたるという。藤田の代表作一点を長期で持てば、このくらいの実現リターンが出ている、という一つのサンプルになる。

「意図的に低く」という戦略

美術手帖がセール前に行った取材で、サザビーズ・アジアのプライベートセールス・ディレクター、ニック・バックリー・ウッド氏は、今回のエスティメートについて「より多くの入札者を集めるため、意図的に低めに設定した」と述べたという。藤田の市場は過去10年ほど比較的安定しており、類似作の直近相場に水準を合わせたうえで、15点をまとめて出すことで「藤田市場全体に動きを生みたい」と語ったと同誌は伝えている。日本のコレクターは1980年代から藤田を買い続けてきたが、同氏は中国、欧州、南北アメリカからの入札も見込んでいると説明し、藤田の市場を「非常に国際的だが、とくにアジアで強い」と位置づけた。

クリスティーズは同じ週に藤田を2点扱ったが、単独のイブニングセールにはせず、9月30日の20世紀デイセールに他の作家と一緒に並べた。見積もり下限はそれぞれ85万香港ドルと20万香港ドルで、サザビーズが15点をまとめて「レキシコン」と銘打った扱いとは対照的だった。香港の秋は、同じ画家をまったく違う棚に乗せて売った一週間でもある。

次の槌音——11月24日、そして2028年

サザビーズ香港の次の大型セールは11月24日、「マグニフィセント・ジュエルズ・アンド・ジェイダイト」。カタログは10月中に公開される予定で、同じザ・ヘンダーソンの会場に、今回とは桁の違う値札が並ぶことになる。藤田で温まった入札熱が、ジュエリーとジェイダイトにどこまで持ち越されるかは、見ておく価値がある。

もう一つ、日付の決まった先の話がある。米マサチューセッツ州のクラーク美術館が2028年夏、同国初となる藤田の大規模回顧展を計画しており、今回出品された15点のうち7点が出展予定に含まれているという(美術手帖、9月29日)。軽井沢安東美術館が競り落とした2点がその7点に入るかどうかを、本誌はまだ確認できていない。香港で鳴った槌音の行き先を、2年後にもう一度確かめに行く理由が、これで一つ増えた。