要望と現況、二つの大綱
金融庁(Financial Services Agency、日本の金融・証券を所管する機関)が2026年8月30日に公表した「令和9年度税制改正要望事項一覧」には、相続税と金融所得課税に関する三つの項目が並んでいる。うち二つは定量的な減収見込額を示している。ところが、2025年12月26日に自由民主党と日本維新の会が決定した令和8年度税制改正大綱(現行の枠組み)を読むと、この三項目は載っていない。いずれも要望のままで、12月の与党税制改正大綱で改めて検討される。
三つの要望、三つの状態
1. 死亡保険金の相続税非課税限度額の引上げ
現行の枠組みでは、死亡保険金の相続税非課税限度額は「法定相続人数×500万円」と定めれてから約60年変わっていない。金融庁の要望は、これに「配偶者及び未成年の被扶養法定相続人数×500万円」を加算することで、配偶者と未成年の子がいる世帯の生活資金をより確保する狙い。減収見込額は年26,671百万円(約26.7億円)。
国税庁のページと現行大綱を確認すると、2025年12月の時点でこの引上げは決定されていない。配偶者控除や子ども関連の支援は大綱の焦点だったが、保険金の非課税枠は従来通り据え置かれた。
2. 上場株式等の相続税に係る見直し
相続財産となった上場株式は、相続時点の時価で評価されるが、評価額の確定から相続税納付期限までの間に株価が下がるリスクが大きい。金融庁は「上場株式等と他の資産との間における相続税に係る負担感の差を解消」するため、評価方法の見直しを要望している。
減収見込額は「—」(未定)で、具体的な額は明示されていない。現行の大綱では、不動産の評価方法(特に貸付用不動産)の見直しが入っているが、上場株式等の評価方法見直しは含まれていない。別途、国税庁は9月16日に非上場株式の新しい評価方式(残余利益方式)についての試算を示したが、これは上場株式ではなく非上場株式に関するもの。
3. 金融所得課税の一体化(損益通算範囲の拡大)
金融所得とは、有価証券の売却益や配当金、利息など投資から得られる所得。現在、損益通算の範囲は「上場株式」「投資信託」「公募投信の受益権」などに限定されている。金融庁の要望は、これをデリバティブ取引や預貯金にまで拡大し、投資家がより多様な金融商品に投資しやすい環境を整える構想。減収見込額は年16,800百万円(約16.8億円)。
現行大綱では、暗号資産(ビットコイン等)の課税方式を分離課税(20%)に変更する改正は入っているが、デリバティブや預貯金との損益通算の拡大は決定されていない。
現況の相続税改正は「貸付用不動産」に集中
実際に令和8年度大綱に入っている相続税関連の改正を見ると、焦点は貸付用不動産の評価方法見直しに集中している。被相続人が相続開始前5年以内に対価を伴う取引で取得した一定の貸付用不動産は、課税時期における通常の取引価額で評価される。従来は路線価と借家権控除で評価された不動産が、市場価格にぐっと近い値で評価されることになる。この見直しは、節税を目的にした不動産購入を抑制する狙い。
一方、非上場株式については、特例承継計画の提出期限が1年6月延長されたが、評価方法の抜本的な見直しは先送りされている。国税庁の有識者会議では9月以降、新しい評価方式(残余利益方式)について議論が続いており、適用時期は令和10年(2028年)以降と見られている。
香港の読者にとって、これは何か
香港には相続税がない。2006年に遺産税を廃止して以来、資産の相続に伴う税負担の概念が日常的ではない。ところが、日本の企業オーナーの配偶者や子ども、日本に不動産や株式を保有する家族辞公式にとって、日本の相続税ルールは実務上の重要な制約となる。
特に、親の代から持つ日本の非上場企業の株式や日本の不動産(特に賃貸建物)を相続する場合、評価方法一つで税額が数倍変わる可能性がある。2025年末に決定された貸付用不動産の評価見直しはもう現行法。しかし、死亡保険金の非課税枠やデリバティブとの損益通算といった要望項目は、まだ決定されていない。
仮に12月の大綱で承認されたとしても、施行日は令和9年1月1日以降、つまり2027年以降になる可能性が高い。相続の時期が読めるなら、改正の前後どちらで相続が起きるかで納税額や資産計画が大きく変わる。香港側のファミリーオフィスや家族信託の設計を担当している法務家・税理士にとって、この「要望と現況の差」を知ることは、クライアント相談の際に非常に重要である。
次の関門、12月の与党大綱と国会
自由民主党と日本維新の会は毎年12月中旬から下旬にかけて、翌年度の与党税制改正大綱を決定する。2026年の決定は2025年12月だったため、2027年度(令和9年度)の大綱は2026年12月ごろに決定される予定。
決定までの道筋は:
- 10月~11月 — 各省庁・業界団体の要望提出(既に8月末に金融庁は提出済み)
- 11月中旬 — 自民党税制調査会での合同審議開始
- 12月中旬~下旬 — 与党大綱の決定
- 1月 — 政府の税制改正関連法案を国会に提出
- 2月~3月 — 国会での審議・可決
- 令和9年1月1日 — 施行(通常、新規事項は翌年の1月1日から)
金融庁の三項目が大綱に入るかどうかは、今後3ヶ月の与党内調整次第。死亡保険金の非課税枠引上げは生活保障と家計支援の観点から政治的な需要が高い一方で、減収額26,671百万円の財源をどこに求めるかが課題。上場株式の評価見直しは金融緩和と資産形成促進の掛け声との関係で検討される見込み。デリバティブとの損益通算拡大は「金融所得課税の一体化」という数年来の検討項目であり、与党内での合意度合いが進んでいる可能性がある。
参考:関連Pinnacle Post記事
残余利益方式の自社株評価——国税庁1,378社の試算が示した分かれ目(2026年9月19日)— 国税庁が9月16日に公表した非上場株式の新しい評価方式について、実際の申告データ1,378社に当てはめた試算を解説。評価額が会社規模で分かれるパターンを図解。
Desk note
- Sources(日付・貢献):
- 金融庁「令和9年度税制改正要望事項一覧」PDF — 2026年8月30日公表、2026年09月03日確認。金融庁が提出した三項目の要望文書の元データ。减收見込額26,671百万円と16,800百万円の出所。
- 財務省「令和8年度税制改正大綱」(PDF版) — 2025年12月26日政府閣議決定。現行の国庫税・相続税・贈与税の枠組み。死亡保険金、上場株式評価、金融所得課税一体化いずれも含まれていないことを確認。
- 国税庁「有識者会議」資料(第6回) — 2026年9月16日。非上場株式の残余利益方式試算、1,378社の中央値分析。本記事の上場株式評価との対比を明確にするために参照。
- MOF tax reform request page for FSA (FY2027) — https://www.mof.go.jp/tax_policy/tax_reform/outline/fy2027/request/fsa/index.html — 三項目の正式なタイトルと要望内容。
- Pinnacle Post article 171(ja/wealth、2026年9月19日) — 一棟賃貸マンションの相続税評価、国税庁9月18日通達案。本記事の不動産評価見直しの背景説明の参照。
- 意図的に含めなかったもの:
- 金融庁の令和8年度(前年度)税制改正要望との比較 — 年度ごとに要望項目が入れ替わるため、継続性を示さず、今回の三項目に焦点を絞った。
- 大綱に入った他の相続税改正項目の詳細(教育資金一括贈与の廃止など) — 本記事の主題は「要望と現況の差」のため。
- 与党内の意見対立や財政再建との折り合い — 決定前のため、推測の域を出ない。決定後の follow-up 記事向け。
- 他国の相続税制度との比較 — 香港読者向けに日本の仕組みの説明に注力した。